Paul Joh, a participant of this program (held in December 2016), has written the below report in Japanese. Paul is studying Japanese at JF Sydney’s Pre-Intermediate course.
完璧主義者(かんぺきしゅぎしゃ)の国(くに)
初(はじ)めて日本(にほん)への招待(しょうたい)を貰(もら)った時(とき)、初(はつ)の一人(ひとり)での海外(かいがい)旅行(りょこう)への胸(むね)の高鳴(たかな)りと共(とも)に、少(すこ)しの不安(ふあん)もありました。飛行機(ひこうき)の中(なか)では一人(ひとり)のおばあさんのそばに座(すわ)りました。一緒(いっしょ)に話(はな)したかったのですが、日本語(にほんご)を間違(まちが)えるかもしれないので、静(しず)かにしていました。しかし、日本(にほん)に到着(とうちゃく)する前(まえ)に勇気(ゆうき)を出(だ)して「どこから来(き)ましたか」と聞(き)きました。おばあさんは「日本人(にほんじん)です」と親切(しんせつ)に答(こた)えてくれ、私(わたし)が日本(にほん)への初(はじ)めての旅行(りょこう)である事(こと)などの会話(かいわ)をしました。到着後(とうちゃくご)すべての事(こと)が違(ちが)いました。空気(くうき)のにおい、雰囲気(ふんいき)、人(ひと)、文化(ぶんか)。最初(さいしょ)の問題(もんだい)は和式(わしき)トイレでした。使(つか)うのが難(むずか)しかったです。日本(にほん)のトイレは本当(ほんとう)に綺麗(きれい)で、建物(たてもの)の全(すべ)てのフロアにもありました。
国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)関西(かんさい)国際(こくさい)センターでは、受付(うけつけ)に挨拶(あいさつ)をして貰(もら)いました。でも敬語(けいご)はやや難(むずか)しいと感(かん)じました。国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)で初(はじ)めて作(つく)った友達(ともだち)はヘンディさん(エジプト人(じん))とチャンプさん(タイ人(じん))でした。一緒(いっしょ)に国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)の自転車(じてんしゃ)を借(か)りてコンビニに行(い)きました。初(はじ)めて買(か)った物(もの)は牛乳(ぎゅうにゅう)でした。オーストラリアの牛乳(ぎゅうにゅう)の味(あじ)と違(ちが)いました。日本(にほん)の木(き)のにおいや、日本(にほん)の牛乳(ぎゅうにゅう)の味(あじ)や、日本(にほん)の道(みち)も、全部(ぜんぶ)違(ちが)いました。本当(ほんとう)に嬉(うれ)しかったです。四時(よじ)になると僕(ぼく)たちは大変(たいへん)つかれ、休(やす)みをとりました。六時(ろくじ)に会(あ)う約束(やくそく)がありましたが、十時(じゅうじ)すぎ迄(まで)寝過(ねす)ごしてしまい会(あ)うことができませんでした。その日(ひ)二十三(にじゅうさん)の国(くに)から二十四人(にじゅうよにん)参加者(さんかしゃ)が来(き)ました。国(くに)は中国(ちゅうごく)、韓国(かんこく)、モンゴル、インドネシア、カンボジア、ラオス、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム、インド、オーストラリア、米国(べいこく)、ブラジル、ドイツ、スペイン、フランス、イタリア、英国(えいこく)、ハンガリー、ロシア、ウクライナ、エジプトから来(き)ました。様々(さまざま)な国(くに)の人達(ひとたち)が、同(おな)じ場所(ばしょ)に集(つど)うという事(こと)は、非常(ひじょう)に珍(めずら)しい事(こと)でした。
国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)関西(かんさい)国際(こくさい)センターでは色々(いろいろ)な活動(かつどう)がありました。例(たと)えば、合気術(あいきじゅつ)と書道(しょどう)と関西弁(かんさいべん)の授業(じゅぎょう)と茶道(さどう)と和太鼓(わだいこ)と自宅(じたく)訪問(ほうもん)と小学校(しょうがっこう)訪問(ほうもん)と大阪(おおさか)、東京(とうきょう)、京都(きょうと)を探索(たんさく)することがありました。大阪(おおさか)はたくさん安(やす)い物(もの)や、美味(おい)しい食(た)べ物(もの)がありました。東京(とうきょう)はよくイベント活動(かつどう)があって面白(おもしろ)いカフェもありました。例(たと)えば、メイドカフェとか、猫(ねこ)カフェとか犬(いぬ)カフェもありました。京都(きょうと)はたくさんきれいな場所(ばしょ)があって伝統的(でんとうてき)な場所(ばしょ)もありました。たくさん神社(じんじゃ)とお寺(てら)もありました。
僕(ぼく)は主(おも)に大阪(おおさか)に滞在(たいざい)していたので、よく難波(なんば)と道頓堀(どうとんぼり)と梅田(うめだ)とりんくうタウンを散歩(さんぽ)しました。このプログラムは2週間(しゅうかん)しか日本(にほん)にいられないので、すべての場所(ばしょ)を訪問(ほうもん)するようにできるだけ毎日(まいにち)頑張(がんば)りました。
日本(にほん)での滞在(たいざい)は実家(じっか)にいるのと同(おな)じくらい心地(ここち)よかったです。交通(こうつう)手段(しゅだん)は時刻(じこく)どおりに動(うご)き,地域(ちいき)の人々(ひとびと)に僕(ぼく)の日本語(にほんご)を助(たす)けて頂(いただ)き、文化(ぶんか)も温(あたた)かくて楽(たの)しかったです。国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)関西(かんさい)国際(こくさい)センターから日本語(にほんご)の勉強(べんきょう)を継続(けいぞく)できるように本(ほん)をプレゼントしてもらいました。僕(ぼく)はもっと日本語(にほんご)を勉強(べんきょう)したいと強(つよ)く励(はげ)まされました。
日本(にほん)を離(はな)れる時(とき)が来(き)ました。同級生(どうきゅうせい)も悲(かな)しくて自分(じぶん)の国(くに)に帰(かえ)りたくない様子(ようす)でした。最後(さいご)のカラオケパーティーにも皆(みな)悲(かな)しい雰囲気(ふんいき)が漂(ただよ)っていました。もっと日本(にほん)に住(す)みたいと強(つよ)く感(かん)じました。たくさん友達(ともだち)ができて、沢山(たくさん)日本語(にほんご)を練習(れんしゅう)し、場所(ばしょ)に慣(なれ)れましたが、今(いま)は自分(じぶん)の国(くに)に帰(かえ)らなければならないです。一緒(いっしょ)に最後(さいご)の写真(しゃしん)をとって、お互(たが)いに「さようなら」の手紙(てがみ)を書(か)きあい、最後(さいご)にさようならを言(い)いました。
同級生(どうきゅうせい)の飛行機(ひこうき)予定(よてい)は翌朝(よくちょう)にありましたが、僕(ぼく)の飛行機(ひこうき)は最後(さいご)から2番目(ばんめ)でした。皆(みな)空港(くうこう)に行(い)く前(まえ)にバス停(てい)で最後(さいご)に会(あ)って出発(しゅっぱつ)を見(み)おくりました。国際(こくさい)交流(こうりゅう)基金(ききん)関西(かんさい)国際(こくさい)センターの先生(せんせい)も見送(みおく)りにきて「さようなら」と言(い)いました。一人(ひとり)ひとりが去(さ)っていくにつれてセンターにいる同級生(どうきゅうせい)が少(すく)なくなりました。はじめは24名(めい)がいて、今(いま)は2人(ふたり)しかセンターにいません。僕(ぼく)の去(さ)る時間(じかん)が来(き)ました。僕(ぼく)の心(こころ)は後(うし)ろ髪(がみ)をひかれる思(おも)いでした。本当(ほんとう)に去(さ)りたくないけどオーストラリアにも家族(かぞく)があって、友達(ともだち)もあって、家(いえ)がありました。
バスが来(き)ました。バスに乗(の)って先生(せんせい)たちと決別(けつべつ)しました。大切(たいせつ)な人(ひと)、日本(にほん)の大好(だいす)きな事(こと)、そして、楽(たの)しい活動(かつどう)、全部(ぜんぶ)思(おも)い出(で)になります。バスのドアが閉(し)まる前(まえ)に自分(じぶん)に約束(やくそく)しました。「次(つぎ)に必(かなら)ず来(く)る。」「将来(しょうらい)、日本(にほん)に住(す)みたい。」なぜなら、日本(にほん)で暮(く)らしたいからです。そして日本(にほん)を愛(あい)しているから。
僕(ぼく)は日本(にほん)を旅行(りょこう)することができ、皆(みな)さんに感謝(かんしゃ)したいです。私(わたし)はこのプログラムを計画(けいかく)し、参加(さんか)し、紹介(しょうかい)した人々(ひとびと)がいなければ、これを体験(たいけん)することはできませんでした。
本当(ほんとう)にありがとうございました。
ポール
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